はじめに〜お前”どっち”なんだよ?
ども、あるふそーるです。なんか最近色々タイトルの話題について考えることが多いんで、このあたりで出力してまとめておこうかという考えで書きました。あと最後に書きますが純粋な「見る側」としての僕の意見を一回ここで記録しておきたいんですよね。一応偏りすぎてないかをチェックする意味もあります。
まず正直に言ってしまえば、僕は生成AIを用いた創作に関してかなり肯定的な考えをしている身です。モラル面での問題が多く存在するのは事実ですが、同時に非常に大きな「可能性」を感じるんですよね。まぁこのあたりは後々書くので一旦このあたりで。
逆にAIを否定的に見ている人からするとかなり読んでて苦しい文章が続くかもしれません。ただ、いわゆる反AIや反反AIの争いに関してはかなり冷めた目で見ていて、できる限りフラットに、偏見や人格否定が入らないように意識したつもりです。お気持ちはお気持ちと表記した上で入ります。異なる考えを持つこと自体はあって然るべきだと思いますが、そこに偏見から導き出される安易な結論や人格否定、ヘイトが交じることはあってはならない。ここは保証します。
なぐり書きみたいなものなので多分読みにくいですが、興味があるなら読んでいってください。
ほんへ
大前提の思想
かなり"見る側"に偏った意見なのは承知ですが、何より優先されるべきなのは最初にも書いた「AIの力によって広がる創作の可能性」だと思っています。これは僕自身の「作りたいと思った人ができる限り低いハードルで、できる限り自由に作りたいと思ったものを作れる世界が望ましい」という"思想"がベースになっています。全人類作り手になれって話ではないが、多いほうがいろんな作品が出てきて面白いよねって考えです。
これはあくまで僕個人の"思想"なので、新たな可能性よりも既存のクリエイターの保護を優先するべきという考えも別に否定はしません。というより、どっちも大切なのは前提として、僕個人は可能性のほうが大事だと考えているという話です。
創作において必須なのは「何かを作りたいと思う心」であり、それさえ押さえていれば手書きだろうがAIだろうが見ているものに強い影響を与える作品を創り出せるんですよね。AIによって”作る側”が大幅に増えた世界で、誰かの「作りたい」という心が生み出した作品が、また別の誰かに影響を与え、新たな「作りたい」に繋がる…これも個人的な思想ですが、そうして紡がれて広がる創作の世界を見てみたい、という気持ちはかなり強いですし、それが創作の世界にとって望ましい形であると思っています。
AIを用いた創作に心はこめられるか
いやまぁ込められないと思ってるならAIに対して可能性とか感じてないんですけどね。
これはちょっとしたシミュレーションなのですが、脳内に「これ」という1枚の明確なビジョンが存在するときに、手書きで無限に近い試行回数の末それを創り出すのと、AIを使って無限に近い生成物の中から完全に合致する1枚を選び出すのとでは結果は全く同じです。最初からゴールが明確なので同じイラストが出来上がるのは当然です。試行回数も生成も”無限に近い回数”なので労力も同じ、そこに存在するのは純粋な「使った道具の差」でしかありません。
AIという道具そのものを無条件に嫌う、あるいは手書きという過程そのものを無条件に好むなら筋は通りますが、ここに「AIイラストには心がこもっていない」なんて理由を付けるとおかしなことになるんですよね。出来たものもその元となった思想もかかった労力も全く同じ、使った道具の差だけで心のこもった/こもっていないを判断してしまう。それはただの思考停止であり、作品を見る目として適切ではないと思います。
www.pixiv.net
一例として、外国の方が投稿したイラストを挙げます。絵柄はAIアートだと分かりやすいですし、ポケモン以外の版権キャラとポケモンの組み合わせ自体は珍しくありません。しかし、「灰尾凛にポケモンをもたせるならゾロアークだろう」という思いは間違いなくこの投稿者の「作りたい」という感情の根底にあったものでしょう。僕自身この組み合わせに強い納得感(≒投稿者の100カノ、ポケモン双方への愛)を感じているのもありますが、作品から読み取れるこの「思い」こそが創作の本質であり、こめられた心そのものではないでしょうか。
(余談ですが「100カノ×ポケモンって組み合わせだと中二詩人とカイリューとかどうですか(安直)」…っておまけのように書こうとしたんですけど、これって僕がこの作品から影響を受けてそう思ったってことなんですよね。AIがあればこういったふと浮かんだアイデアを手軽に形にできますし、みんなそれができる世界ってすごく面白そうじゃない?…という感じのあれこれが最初の「大前提の思想」につながってきます)
ただ、後にも似たようなこと書きますが、人気のある版権キャラ(これが作者が気に入ってるオリキャラならまた少し話が変わりますが)をそのまま出したようなイラストが画像投稿サイトに大量に溢れている現状は僕としても少しうーんと感じています。見たいのは作者の思いであり、承認欲求を満たすためだけに生み出されたのが伝わるイラスト見てもあんまり心は動かないんですよね。これは流行りのアニメキャラのイラストばっかり描いてるような同人ゴロ的な人にも言えますが。
誰でも自分の思いを表現できるって部分をもっと活かす人が増えれば良いな、と思う次第ですが、現状はそうではない人が少し悪目立ちしてして埋もれてしまっているという印象です。
AIによって仕事を奪われるクリエイターについて
僕がAIに対して肯定的な理由は示しましたが、一方でイラストレーターの「積み上げてきた技術の差をテクノロジーの力で埋められた」という不快感を無視していいのかという意見も分かります。かつて様々な分野で同じ事が起きてきたことを踏まえると、「芸術分野を特別扱いする理由はあるのか」という疑問も少しあります。が、そもそも芸術関係なくあまりにも急速に広まっていった新技術によって仕事を失った人々を単純に時代の犠牲者として見て見ぬふりをするのは、現代社会の考え方として正しいのでしょうか。
ただ、AIが台頭する前から芸術で食っていける人はほんの一握りで、あまりにも過酷すぎる世界です。もともと過酷だからAIで仕事を奪われるならその程度だった、と片付けることもできます。正直に言うとイラスト業界に関してはあまり詳しくないので雰囲気で語ってますが…
そもそもここって大勢の”描きたいから趣味で絵を描いている人”は気にしなくていい部分なんですよね。AIが台頭ても特別”何かができなくなる”わけではありません。とれる手段が増えただけです。純粋に描きたいという気持ちがあるならAIとか関係なく描き続けるべきです。偉そうなこと言える立場ではないですが、何度も言う通り創作の本質は「作りたいという気持ち」だと思っていますし、僕はそれを大切にしているクリエイターの方は手書き・AI関係なく尊敬しています。単純に競争相手が爆増するので、イラスト描いて承認欲求満たしたい!って人にとってはたまったもんじゃないでしょうが…
データセットにはグレーな画像が含まれているという話
よく言われてるやつです。まぁ、合法だけど良くはないよねとは思います。ただ、ここに関しては黙認したほうが無難だと考えています。同じ理屈でインターネットで活動するあらゆるクリエイターを殴れてしまうからです。
そもそも大前提として、ゼロから創り出された創作物は存在しません。一次創作・二次創作関係なく、生み出された作品はクリエイターがそれまでの人生で見聞きしてきた"全ての"作品やものごとから大なり小なり、意識・無意識問わず影響を受けた結果創られたもの、と言えます。ZUNが東方は自分が見聞きしてきたものの二次創作って言ってたアレと近いです。
一方で、無断転載や違法アップロードがそこら中に存在する現代のインターネットでそれらを一切目にせず活動するのは極めて困難です。あらゆるクリエイターはネットで活動する以上そういったものが嫌でも目に入ってきますし、作られた作品が一瞬でも目に入ったそれの影響を一切受けていないと断言することは不可能です。一瞬見た/見てないの差による影響で後にどこかで線の引き方がほんのわずかに変わっているかもしれません。淫夢動画を見たことあるクリエイターも、その影響が作品に表れている可能性を否定できないので全てグレーになってしまいます。データセットと同じくあらゆるクリエイターもグレーなわけです。
中々極論寄りなので理解されるとは思ってませんが、少なくともこれに反論したいなら無条件で「AIと人間は別」とする以外の道はないように思います。学習の意味が違うとはよく言いますが、結局”人工知能”の名の通り結果的には人間と同じことやってるんですよね。AIにだけ完全なクリーンを求める理由を見いだせないのであれば、黙認がもっとも安全であるというのが僕の意見です。飛び火というにはあまりにも燃える範囲が広すぎる。
ただ、それでも完全にクリーンなイラスト生成AIが出てきたならそれはそれでAIがグッと使いやすくなるのは間違いないでしょう。創作の可能性が広がってほしいと思っている身としては、是非とも開発者の方々には頑張っていただきたいと思います。応援しかできないですが。
…書いてて思ったのですが、完全なクリーンを求めること自体あまり時代にそぐわないのかもしれません。むしろ先述した全クリエイターはグレー理論を抜きにしても、Vtuberなどネットで有名なものには大体疵があります。完全なクリーンを求め続けるのは楽しめるコンテンツの幅を大幅に狭くしてしまいますし、細かいことを気にしない人が一番の勝ち組なのかもしれません。流石に未成年淫行を細かいこととして片付けるのは僕は絶対無理ですが。
LoRAを用いたイラストレーター個人の狙い撃ちについて
法律で規制するべきではないが、それはそれとして特徴的なイラストレーターの絵柄をそのまま使うのはモラルが無いと思っています。規制すべきでないというのは「考え」であり、モラルがないと思うのは「お気持ち」です。
パルワールド騒動なんかがわかりやすいですが、法律は作風を保護しないんですよね。だから任天堂は「デザインがポケモンっぽい」って理屈では一切殴れず、回りくどい手段で殴りに行った。トレパク等で炎上しやすいらしいイラスト界隈ですが、逆に言えば法律で殴れないから個人個人が燃やすしかないんですよね。
まぁ今更僕が言うまででもないですが、田中圭一のように模倣を売りとした作家もいれば、いわゆる「alphes塗り」のようなそのまま誰かの絵柄を模倣する文化もあります。後者は二次創作なのでちょっと違うかもしれませんが、どっちみちAIを用いた狙い撃ちがダメならこっちも等しくアウトでなければなりません。模倣をベースとして文化が生まれることもあるんですよね。だから規制するべきではない。これは「考え」です。
一方で、有名な誰かの絵柄をそのまま真似して特にひねりもなく有名なキャラが描かれているような作品って、そこに作者個人の「思想」は一切ないんですよね。いや、一切ないは言い過ぎかもしれませんが、その原動力は「作りたい」というよりは「目立ちたい」という方向が強いと思います(手書きであれば「すごい」とは思うかもしれませんが)。創作の本質は「作りたいという思い」というのが僕個人の考えで、そこを見たい人間からするとそういう作品に対してはなんだかなぁという思いがあります。単純に真似された側からしても気分は良くない”かも”しれませんし。だからモラルがないと感じる。これは「お気持ち」です。
まぁこれもAIの使用に関係なく、いわゆる同人ゴロや流行ってるアニメキャラのエロ画像を無差別的に描いてるようなイラストレーターにも言えてしまうんですけどね。需要に答えているという意味ではモラルがあるかは別としてビジネスとしては正しいと思います。しらんけど。
ちなみにこれは個人的に応援してるやつなのですが、公式側が声優の声を学習させた音声ソフトを売り出そうとしている例なんかもあります。
soyogi-fractal.com
言わずもがな法律的な問題は何も無いですし、モラル的な面も完璧にクリアしているというのが非常に大きいです。例えばの話ですが、「エレン・イェーガーによるゲーム実況」が合法的に誰でも作れますし、耳かきの音声と合わせてシチュボ的なものも作れるかもしれません。そう、最初に書いた「AIの力によって広がる創作の可能性」そのものなんですよね。
まだAIへの反発が強い中でその「可能性」を信じて行動してくださったという事実、同じくその「可能性」を信じている身としてとてもありがたいと思っています。応援するといいつつ大したことはしてないのですが、せっかくなので覚えていってもらえれば。
イラストの透かしやbioの「AI学習禁止」について
単刀直入に言えば見かけると非常に残念な気分になります。これは「お気持ち」なのですが、ここは特にそれが強いのでそういう考えもいるんだな程度に受け取ってもらえれば。
単純にAIを肯定的に見ている人間として敵視されているような気分になる、素敵なイラストなのにAI憎しの負の感情が入り込んでいるのが嫌、というのもあります。が、おまじないやポーズ以上のものを持たないふわふわ対策で満足してしまう人って自己紹介してるようなものなのもちょっと残念ポイント高いです。
これは自分語りなのですが、初めて滅茶苦茶面白い!って思った小説、百田尚樹の「永遠の0」なんですよね。映画も見ました。もう読んだのが10年ほど前なので曖昧ですが、右翼的とか言われてつつ立派な反戦小説だったのは記憶してます。でも人に勧めたくないし、純粋にいい小説としてはもう見れないんですよね。ビジネスでああいうことやってるのか本当にそう思っているのか…作者と作品は分けて考えるべきとは言われますが、純粋に楽しみたい身としてはやっぱりノイズに感じてしまいます。
話が脱線しました。そもそも「AI学習禁止」という文言自体がかなり「?」で、Xなどの各種サービスは利用規約にAI学習に同意する旨書いてありますし、AIに学習させること自体は著作権者の合意を取らずにできる立派な権利です(モラルは別としたできる/できないの話)。無断学習は禁じられてるのではなく法律に守られている権利なんですね。そして何より画像をAIに食わせて変換するi2iはAI学習ではありません。だから「無断学習禁止」とか「AI学習禁止」とかいう文言を使ってるのを見るとなんというか…リテラシーというか…色々甘いというか…うーん…ぶっちゃけこれ言うと色んな人が怒りそうだけど、狙い撃ちしておきながらそれを自分の作品とするのはモラルがないと思う一方で、クリエイター側はAI学習禁止なんて言える立場ではない(他の作品を一切模倣、あるいは参考にせずに上達するのは不可能なので)とも思うんですよね。不快に思う側に回ると無視されがちですが、「法律上問題ないけど単に不快だから禁止する」という主張の危うさはもっと重く見られるべきかと
無断転載や違法アップロードも法律で禁止されてなければ同じこと思ったのかもしれません。が、AI学習は利用規約ですでに同意している、かつ法律で守られている以上、嫌なら自分で学習させないよう行動するしかありません。公開範囲が限定された場所に投稿する、そもそもインターネットに公開しないなど、誰でもできる対策はありますし、そこまでしてるならちゃんと一貫してると思います。でもそういうポーズやおまじない、あまり効果のない加工だけで対策した気になり、インターネットの「様々な人に見てもらえる」という性質の都合のいいところだけを享受しようとするのは、言葉を選ばずに言ってしまえば”わがまま”あるいは”怠慢”ではないでしょうか。
最初に書きましたがこれは「お気持ち」です。ポーズやおまじない以上の意味を持たない(+リテラシーを疑われるリスクがある。少なくとも僕は疑う)とわかって満足してるなら筋は通ってると思いますし、同調圧力で仕方なくつけてるって話も聞くので単純な話じゃなさそうなのもわかってます。それはそれとして僕はそういうのを見ると残念な気分になる。それだけです。
(ぶっちゃけ無断転載・違法アップロードに関しても、それを禁じる文言を書き込むのはおまじないに近いと思ってます。ただ、よくよく考えれば悪意の有無に関わらず全ての人に著作権のことが頭に入っているかは怪しいですし、作品一つ一つにそれを明記しておくのは右に倣えで書いているのだとしても案外馬鹿に出来ないのではないでしょうか。法律による根拠があるのか否か、それが「AI学習禁止」との明確な差ですね)
ネット上での反AIと反反AIの対立について
うんこ。カス。インターネットの掃き溜め。目に入る度に人間という生き物への信頼が消えていく。
どっちも僕の平穏なインターネット・ライフの敵なので、ここだけは例外的にボロクソに書きます。この記事は偏りすぎてないかの確認も兼ねてるので、思うことがあるならリプや引用で投げてもらって構わないですし僕自身できる限り”対話”したいと考えているのですが、そこに反や反反に見られるような”攻撃性”が含まれている、あるいはそういった言動が目立つアカウントと判断した場合黙ってブロックします。
前者が法律ガン無視のお気持ちベース、後者がお気持ちガン無視の法律ベースで争っている"ズレ"を認識している人があまりにも少ない。いやまぁそうなると法律を武器とする後者が強いのは当然ですが、これじゃただの正論パンチなんですよね。世界を良くするためじゃなくて自分が法律を叩き棒に気持ちよくなってるだけ。お気持ちと法律であれば法律の方が優先されるべきなのは法治国家として当然ですが、だからといってお気持ちを蔑ろにして良い理由にはなりません。
反AIにしてもせっかく文化庁が分かりやすい資料出してるんだから、やるなら最低限基本的な法律くらいは抑えた上で、そことお気持ちを切り分けて議論してほしいんですよね。こっちもお気持ちと法律をごっちゃにしたマイルールを相手に押し付けて気持ちよくなってるだけ。せめて「無断学習」というワード使うのやめましょう。僕個人としてはこのワード使ってるだけでかなり信用度落ちます。
この記事そのものが法律を叩き棒に気持ちよくなってるだけ、という指摘は正直否定はできないと思っています。ただ、少なくとも僕自身は「筋を通してほしい」思いが強いというのは理解してもらえると嬉しいです。僕が普通の人よりダブスタや理屈の通らないものを嫌っているだけ、それはそう。
お互いもう少し歩み寄ろうとする姿勢を…無理か。できたらこんなことやってないですよね。僕としてはどちらも「創作にAIが使いにくい環境を作り出している要因」であると認識しているので、反も反反も「自由な創作の敵」だと思っています。というか単純に見てて気分悪くなる。
「インターネットでは"怒っている人"に近づくな」これに尽きますね。ばーかばーか。
おわりに
まぁまぁ文量ありましたけどここまで読んでもらって感謝です。本当に自分の頭にあるものを出しておきたかったってだけなので、この記事にあまり深い意味はないです。
僕自身変に真面目な人間なので、できる範囲で一貫性を持たせたいという思いが強いのだなというのは書いていて感じました。あと、法律(=文化の発展を踏まえた正しさ)とお気持ち・モラルを分けて考えるというのは強く意識しながら書いたつもりです。でも、この記事も違う考えの人が見れば筋が通っていないと感じるかもしれません。それも多様性です。
そうそう、最初にちろっと書きましたが、クリエイター視点を知るという目的も兼ねてちょっと絵を描く練習してみようかなと思います。
gihyo.jp
とりあえず本屋で見かけたこの参考書で勉強します。
正直仮になにか上げたとしても5いいねあればで満足できる人間だと思うので、何となく好きなもの描ければいいかな〜くらいの気持ちです。

とりあえずアイコンの子(↑これ)とサザンドラ、テツノコウベあたりは描きたいと思ったらさささっと描ける程度には練習してみたいですね。あと最近飼い始めたキジトラの猫ちゃんとか。


中学生みたいで恥ずかしいんですけど、何年か使ってると愛着わくんですよね、オリキャラ。といっても今のスタイルに固まったのは3年くらいまえですが。都合のいいことに見た目以外の設定を一切決めてない、つまり何やらせてもキャラ崩壊しないので、人形代わりに色々やらせてみるつもりです。三つ編みで女の子に寄せたりゲスい悪役の顔させてみたり。
今回はここまで。練習した絵はアップするかもしれないししないかもしれません。
参考資料?
AIと著作権Ⅱ(文化庁)
www.bunka.go.jp
政府のお偉いさんが作った資料。長いけど分かりやすいのでざっと読んでみると良いかも。何かと批判の的にされがちな政府ですが、こういう仕事を見るとお偉いさんってやっぱ相応に頭いいんだなぁって
タイタン(野崎まど)
www.kodansha.co.jp
電気じかけのクジラは歌う(逸木裕)
kodansha-novels.jp
それぞれAIと仕事、AIと音楽について扱ったSF小説。この記事の根本的な考え方はこれらの小説に影響されてる部分が大きいです。特に「電気じかけのクジラは歌う」に関しては生成AIを用いた創作の「答え」に2019年の段階でたどり着いているという意味で凄まじい小説だと思います。反論は認める。
おまけ〜好きなロボット・AIキャラについて語る
これいつかやりたかったんですよね。なのでここでやります。というか好きなロボット・AIキャラ全員集合みたいなイラストいつか描いてみたいな。
フトゥーAI(ポケットモンスターバイオレット)

「そして僕の夢ヲ……
……阻厶者ニハ
ゴ退室イタダコウ!」
ビジュアルも使ってくるポケモンもBGMも物語も全部好き。戦闘プログラムに乗っ取られた瞬間安っぽい敵みたいなセリフしか吐かなくなるのほんとつらい。ちなみにあるふそーるAIのAIの元ネタはこれ
星の夢/星の夢.Soul OS(星のカービィロボボプラネット)

星の夢.Soul OS | カービィWiki | Fandom
「カンパニーの永遠ナル
ハンエイノタメニ…
ホロビナサイ」
願いを曲解して生命体そのものを根絶しようとしたり、人の願いを勝手に読み取った挙げ句自分が壊されかけたりするポンコツ。でもクソ強いし曲はクソ熱い。
最後のファイナルスクリューモードに対して星の夢が守りに入ってしまったのに、星の夢.Soul OSは逆に吸い込んで素のカービィとコアのタイマンに持ち込んでるの、ココロ(恐怖)の有無の差が出てて好き
画像カービィwikiから引っ張ってきたんですけどこれ9年前に自分が別のページで貼ったスクショなんですよね。権利的にはどうなるんだろう。
ヤチヨさん(アポカリプスホテル)

TVアニメ「アポカリプスホテル」公式
「人類のバカーっ!!」
シャンプーハット激推しおもしろお姉さん。アニメの内容自体がぶっ飛んでるのもあってかなり人間味があるように見えるけど、根本的には「銀河楼の存続と発展」で行動原理が一貫しているって部分が最高にロボットらしい。アポカリプスホテル全人類見ましょう。
0号ちゃん(メイクアガール)

劇場アニメ『メイクアガール』公式サイト
「おかえりなさい、"明くん"」
かわいいけどかわいそう。救いはないのですか〜?
フトゥーAIもそうだけど人間に逆らえないという運命をなんとか打破しようとするの性癖かもしれない。
詩音(詩音が来た日)
「すべてのヒトは認知症なのです」
介護ロボットさん。この中だと一番ロボットらしく終わってるロボットだと思う。人とロボットの根本的な違いを象徴する上のセリフは印象的。山本弘「アイの物語」、面白いので読みましょう。
テツノコウベ(ポケットモンスタースカーレット/バイオレット)

テツノコウベ | ポケモンカードゲーム公式ホームページ
冷静に考えてほしいんですけど、TwitterのIDやブログ名に使うレベルでずっと好きなキャラが最新作の最終盤で急にロボット化して出てきたときの僕の気持ちってどんな感じだと思います?
ちなみに@alphsoru993の993はテツノコウベの図鑑番号です。
台詞はぱっと浮かんだやつ選んだつもりだけどみんな不穏ですね…他にもジュレ(ぷにる)とか智子(三体)とかコイオスくん(タイタン)とかすきです。
ほんとうにおしまい